ジェンツー、アメリカ生活は踊る

知的障害のある娘とのアメリカ生活

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娘・ニーナと発達支援

私たち夫婦には一人娘、ニーナがいます
現在4歳で年少さん
 
私の日常は彼女を中心に回っているため、
ブログを書くにあたって彼女の紹介をします
 
療育が必要かも?と感じる小さなお子さんがいる方の参考になればと思います
 
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◆違和感

夫30代、私20代の時に生まれました
両家にとって初孫で、私たち2人とも赤ちゃんと触れ合ったことがありませんでした
なので何が普通なのかは分からなかったけれど、
私だけはニーナが赤ちゃんの頃から「表情が少ないかも?」と感じていました
 
目は合うし、微笑んでもくれるけど、いないいないばぁで声をあげて笑う子などのリアクションは薄い
周囲に聞いても誰もが「気のせいじゃない?」「成長すれば変わるよ」と言う
まぁ、そんなものかな?
と不安になりすぎないようにしていました
 

◆支援の必要性に気が付く

ハッキリしてきたのが1歳半検診
指差しや積み木ができませんでした
見慣れない古いイラストだし、
我が家はレゴの大きい版であるデュプロ派で積み木はこの時初めて触ったため、
出来なくても私は特に不思議に思いませんでした
ゆっくりさんでも、成長してできるようになるなら焦らず待とう
 
ゆったり構えて2歳を迎えたころ、保健所から電話がありました
「あれから指差しはできるようになりましたか?」
ここで私はハッとして焦り始めました
1歳半検診から半年
あれからまだ一度も指差しはできず、発語は喃語のみ
 
電話で紹介してもらった発達相談会に夫と3人で参加して、
ニーナがゆっくりさんであるとハッキリ認識しました
 

◆療育に繋がる

2歳で発達相談に行った後は一気に動き出しました
「療育」の存在は出産前に育児の本を読んだりして知っていたので抵抗はなく、
「この子に今できることは何か」を調べ、「やらなかったことを後悔しないため」に動きました
 
役所の子供支援課に連絡して療育を受けるための手続きをし、
家から通える個別指導の児童発達支援教室にアポを取って見学をして、
週1日×3か所の教室に通うことになりました
 
子どもの首すわり前から近所の児童館で開催される週一回の親子教室にも行っており、
月に1回の区の支援センター通所も加わって毎日忙しかったです
 
あの頃の私は将来の自分が「どうしてやらなかったんだ」と後悔するのがイヤだったのです
将来が見えない不安で苦しみながら、
毎日のようにどこかに行くことで「やるべき事をやっている」と安心したかったのです
 
いま思えばそんなに毎日あちこち行かなくてよかったし、
子どももあちこち連れまわされて混乱してしまったのでは、とも思いますが、
後悔は全くしていません
あの時の自分はよく頑張っていたと思えます
 

◆療育の効果

療育教室がどんなところで何をしているのかはまた今後お話させてください
一見、ただ遊んでいるだけで一体何が療育か?と思うこともありましたが
お勉強だけがメリットではありません
 
コロナ渦で家族以外との接触が減ってしまった幼少期に
家族以外の優しい大人たちに触れ合えたことはきっとニーナにとっても良い経験になったはず
 
発達の重要な時期という責任を私一人で背負わなくていい、と思えたことで
一人で背負っていた大きな不安を分散することができました
なにをどれくらい遊んであげればいいのかわからず、私自身がニーナと遊ぶのが楽しめなかったのですが、
私が上手に遊んであげられない代わりに上手に遊んでくれる人を彼女に提供する努力をしたのだ!
という自己満足感を得らえてメンタルを安定させることに成功
 
不安なことがあればいつでも相談できる場所がある、
私以上に丁寧に子供を観察して寄り添おうとしてくれる人たちがいる
そうした安心感を得られて心穏やかに娘に向き合うことができたことが一番の効果でした
 

◆現在の療育

引っ越しを機に、現在は週5日×1日4時間の幼稚園型療育園へ通っています
臨床心理士さんや言語聴覚士さんが何人も在籍しているという児発の中でも特に環境の整った園で、
毎日楽しく通っています
 
この園に通えるようになるには紆余曲折ありましたが、それはまた今度。
 
 

◆現在のニーナ

おしゃべりはいまだ少なく、
「おちゃ ちょーだい」「あした ようちえん いく」といった毎日使うようなフレーズいくつか言える程度で
自分で考えて二語文・三語文を作ることはできません
”大きい・小さい””多い・少ない”はまだ難しいし、指差しも曖昧
 
偏食は特になく、運動面もさほど問題なく、お友達に嚙みついたりというトラブルはありません
最近は仲良しの男の子がいて、園で会うとハグしあったり手をつなぐなど交流もできるようになりました
 
お気に入りの服ばかり着たがるなどオシャレに関するこだわりは多少ありますが、
困るほどではないので好みの範囲と捉えています
 
多くの同年代の子たちと比べると幼いけど、
家族で生活している限りではそんなに困っていないかな
トイトレ問題とか、片付けないとかはあっても、彼女特有の困りごとではないですしね
 
 

◆つらかった時期

2歳になって保健所から電話が来てから、いまの園に通い始めるまでが一番つらかった
 
彼女のハンデがどれほど大きなものなのかが全く想像つかなったから
とにかく先が全く見えないことが不安で不安でたまりませんでした
 
療育すれば普通の幼稚園に入って、普通の小学校に行ける程度なのか
支援級に進むことにはなるけれど、大きくなれば働くことができる程度なのか
一生お話もできないのか
 
とにかく分からなかったあの頃が一番つらかったです
いまは彼女の成長速度がなんとなく見えているし、
よい支援先につながれて、支援の道がしばらくは続いているのが分かって、
”いま”は辛くありません
 
成人後や親亡き後については未知数で、考えると辛くなりますが、
”いま”深く先まで思い悩んでも解決にはならないので悩むのは後回し。
調べることも備えることも大事だけれど、
起きてもいない未来を妄想して落ち込んで過ごすのはもったいない!
不安と悲しみでうろたえながら過ごすより、
いま目の前にいる小さなニーナをたくさん愛して過ごしたい
 
座右の銘「明日できることは明日する。今日しかできないこと今日をしよう」
 
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今回はこのブログのメイン登場人物である娘・ニーナについての紹介と、療育への流れを書きました
療育へつながるまでの苦労だとか、
どんな場所で何をしていたかなどはまたいずれ書きます
 
困りごとも、辿る道も、理想の場所も人それぞれ
先が見えずに途方に暮れていたあの日の”私”に届きますように